■情報を見極めるリテラシーは重要。不安があるなら臆せずに聞いてみたほうがいい


知恵袋なんか見ていても、「私はこういう診断されたんだけど、これってどういうことですか?どうすればいいですか?」といった投稿がよくあって。せっかくクリニックに行ったなら、僕たち医者に直接聞いてよ〜って思うよね(笑)。ネットで声をかけるより、自分の担当医に聞いたほうがいい。
もちろんクリニックによっては常に混雑していたり、医師が冷たい態度をとったり、聞きにくい雰囲気を醸し出してしまっていることがあるのも確かなんですけどね……。ただ医師は患者の質問に答えるのも仕事なので、不安があるなら臆せずに聞いてみたほうがいい。




特に男性同士だと「俺精子が少なくってさー」「俺も少ないんだー!」とはなりにくいよね。

■不妊治療がだめだったときの、養子という選択肢




母親がなんらかの理由で赤ちゃんを育てられない場合、欧米だと基本的には「家庭養護」といって、血のつながりはなくても家庭の中の安定した環境で育てていくべき、という考えが自然ですよね。でも日本では、まず乳児院に入れて、そこから18歳、20歳まで施設で育てるという「施設養護」が普通の認識です。
でもこの「施設養護」って、大抵の日本人は気づいてないけど、子どものための福祉でなく、大人の事情を優先したものでしょ。国際社会からは、「子どもを施設に入れっぱなしにして家庭を与えないというのは国家のネグレクトである」と散々批判されてきて、2011年ぐらいからようやく政府も「できるだけ家庭養護」でという方針を出して、法律も整えようとしている段階。国民の意識も含めてまだまだこれからですよね。

■オープンアダプションで養子をタブー化しない


これまで日本では、養子に出す側の実親にも、「全て隠すのが善」という考え方が強かったんですよね。
例えば養子に出す子を出産する場合、母親は子どもと会えないことが普通だったんです。生まれた瞬間に赤ちゃんは連れていかれる。目隠しをしてお産をさせられることもあったようです。「赤ちゃんを見ると忘れられなくなるだろう」という考えのもと、見せないことで「なかったこと」にしようとする考えからそんな風にするんです。


僕は民間の養子あっせん団体「アクロスジャパン」に顧問として関わっているんですが、オープンアダプションといって、隠すんじゃなくて全部オープンにしましょう、という形をとっています。
だからお産も普通で、カンガルーケアといって出産直後の抱っこや希望があれば授乳もしてもらっています。もちろん強制ではないので嫌であればしなくてもいい。
女性は、お産すると幸せや愛情などの感情にも影響するホルモン、オキシトシンが出るから、望まない妊娠で養子に出す子であっても、自然と愛情がわいてくる。だから、育てられない現状に変わりはないんだけど、そうして出会うと離れる時は悲嘆にくれてワーッと泣いてしまうことが多い。でも感情が出ることは自然なことなんです。見せないで感情に蓋をさせるのでなく、きちんと出会ってから別れるからこそ次のステージへと進んでゆける。実親のそうしたプロセスまで僕たちはサポートしています。
希望すれば、養子先の生活の様子を知ることも、子どもの写真を見ることもできるんですが、「この子はこんなに大切にされてるんだ」と実際に知ることで、自分自身までもが大切にされているような感じがする、と言う実親も多いんですね。望まぬ妊娠・出産をすることで多大なストレスにさらされてきたし、育てられない罪悪感もある。実親自身が愛情をかけられてこなかったなど成育歴に問題があるケースも多い。養子縁組は予期せぬことだったけど、結果として命がつながって自分が産んだ子が大切にされて元気で幸せに育っていることで自分も救われた、という声をよく聞きます。
産んだという記憶は消えないわけだから、全部隠してなかったことにすれば、すっかり忘れて気楽に生きられるなんていうわけにはいかないんです。
こうやって、養子縁組のシステムだけじゃなく、“隠す”のではなくて、”受け入れる“というあり方が拡がってゆけば、もう少し日本でも養子という選択肢が一般的になってゆくと思います。





子宮頸がんワクチンなんかもそうだけどね。なにかあるとそれは気の毒ですが、メリットもすべて度外視して全部やめてしまおうと情緒的になってしまう。こうなるとエビデンスが揃ったとしても理解を得るのに時間がかかるんです。
養子でも普通の親子関係を築いている人たちのことを社会がもっと知るようになって、「そういう形もありだよね」となっていかないと、なかなか数は増えていかないと思います。取り組みは少しずつ増えているけどね。夫婦だって血は繋がってないけど家族になれるでしょう。子どもも同じなんですけどね。
■他人を受け入れる唯一の臓器、子宮


異質のものであっても子宮のようにそのまま受け入れることから全てが始まるんじゃないかと。排他的になって相手を否定したり、切り捨てたり、対立して押さえつけたりすることからは始まらない。命の原点がそうだからね。まずは受け入れてみる。それを「子宮的に生きよう」と言っています。


瞑想では、「無になる」と言われるけど、「無」って頭と心の中を真っ白にするということではないですよね。もともと空っぽになんてできないですしね。 内側から湧き出てくる感情や思考を無理やり抑えようとしないで、逆にそのまま受け入れて流してゆけること。雑念にとらわれないようになる状態ですよね。不妊治療もね、いろんな感情が生まれてくるのは自然なので、いかにそれを受け入れて流してゆけるかが大切です。


感情を抑えて「明日からがんばろう!」なんて、無理があるわけで。どんなにつらい結果であっても子宮のようにまずはそのまま受け入れてみる。辛い喪失の時間が続いたとしても、この時間があるからこそどこかで折り合いをつけて諦められる。そして新たな人生、物語を生きていこうと思えるようになってくる。それが「喪失の完遂」です。こんな喪失も乗り越えられたんだから、次になにか起きてもまあ大丈夫かな、と。受け入れることから、そのままの自分で豊かに生きてゆけるようになる。それを僕はAccept & Startと呼んで自分のテーマにもしています。
あとは、幸せの多様性を考える、というのも重要なことでしょう。「絶対にこうじゃないとダメ!」と決めちゃっていると、想定外のことが起きた時の衝撃が大きいし、修正も難しい。もし思い描いていたものと違う人生になったとしても、「これはこれでいいんじゃないか」と思えて、そこからまた新たな物語を生きてゆけるたくましさが育まれていくといいですね。幸せやゴールはひとそれぞれですから。
■あとがき
こうして竹内先生とざっくばらんにお話する機会をいただいたことで、「なんとなく怖い」「できなかった時に自分がどう感じるのか不安」といったモヤモヤが晴れてきました。もちろん不安はまだまだあるけど、それは当たり前。人生コントロールできるものじゃないんだし、そういう弱い自分も受け入れて、「えいっ、なるようになれ!」と流れに身をまかせる。まずは数週間後に控えた治療に、ポジティブな気持ちで臨んできます。
(取材・文 Mami)
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