壮絶な経験から介護アドバイザーに転身 年間220本以上のセミナーをこなす「介護ガイド」の仕事とは
All Aboutの専門家のお仕事を聞くコーナー。今回はAll About「介護」ガイドの横井孝治さんです。正しい介護情報を広く伝えるため、文字通り全国を飛び回り多忙な毎日を送る「カリスマ介護アドバイザー」横井さんに話を聞きました。
All About「介護」ガイド 横井 孝治 2001年の夏、何の準備もなく始まった両親の介護。初めてのことに戸惑いながらも、懸命に模索する中で得た有益な介護情報を自ら発信・共有するため、2006年末に株式会社コミュニケーターを設立。2007年11月には介護情報サイト「親ケア.com」をオープンさせた。現在は介護情報のスペシャリストとして、介護に関する執筆、講演活動などを精力的に行っている。 |
■痩せて老け込み、何かに怯え続ける母。ただ謝るばかりの父。突然始まった壮絶な介護
――50本、100本、200本と年々倍増する講師依頼に、ますますお忙しい横井さん。企業のマーケティング職から介護アドバイザーへの転身のきっかけは、突然向き合うことになった親御さんの介護だったそうですね。
著書の『親ケア奮闘記』にも書いた通り、それは2001年の夏、私が34歳のときに突然始まりました。私は大阪住まいで、実家は三重。ほぼ毎日実家に電話して、友人の少ない母の話し相手になっていた私は、いつものように実家に電話をかけました。すると電話の向こうで母は「すべてを失ってしまった!」「何もわからない!」と泣き叫んでいました。
父に状況を聞くと、「朝から急におかしくなった」と弱々しく言うばかり。心配になった私は「すぐに帰る」「病院に連れて行こう」と言うのですが、なぜか拒むのです。結局その時は「自分が何とかする」と言う父に押され、逐一連絡を取り合うことを約束して、しばらく様子を見ることにしました。 その頃、私はちょうど大きな仕事を抱えていて、三重に帰ることができたのは秋も深まってからのことでした。帰ったときには実家の様子は一変。家は荒れ、母は痩せ、すっかり老け込み、何かに怯え続け、一方父は「すいません」と謝るばかり。そもそも会話が成り立ちません。それなのに病院へは行かないと頑なな両親。しまいには私に土下座して「連れて行かないでくれ」と頼んでくる始末です。そのときの私は、突然のことに何の手も打てず、そのまま大阪へと戻ってきてしまったのです。
父に状況を聞くと、「朝から急におかしくなった」と弱々しく言うばかり。心配になった私は「すぐに帰る」「病院に連れて行こう」と言うのですが、なぜか拒むのです。結局その時は「自分が何とかする」と言う父に押され、逐一連絡を取り合うことを約束して、しばらく様子を見ることにしました。 その頃、私はちょうど大きな仕事を抱えていて、三重に帰ることができたのは秋も深まってからのことでした。帰ったときには実家の様子は一変。家は荒れ、母は痩せ、すっかり老け込み、何かに怯え続け、一方父は「すいません」と謝るばかり。そもそも会話が成り立ちません。それなのに病院へは行かないと頑なな両親。しまいには私に土下座して「連れて行かないでくれ」と頼んでくる始末です。そのときの私は、突然のことに何の手も打てず、そのまま大阪へと戻ってきてしまったのです。
――今は介護ガイドをするほどに知識を得ている横井さんでも、最初から巧く対応できたわけじゃないんですね。
本などで母の症状を調べれば調べるほど、心の病ではないかという疑いが濃くなっていきました。やはり専門医にかかるべき。そう判断し、なんとか説得して精神科の病院に連れて行くことができたのは、翌年の1月も半ばでした。母は2カ月ほど通院で投薬治療を行っていましたが症状は改善せず、ついに専門の病院へ入院することになりました。
そうなると、今度は父の日常生活が立ちゆかなくなります。私は大阪で仕事を抱えていますし、妻子もいます。三重に通い詰めて父の世話をするわけにはいきません。食事は保存食を中心に据え、食器の後片付けなど最低限の家事だけは父にやってもらうよう言い聞かせ、掃除や洗濯は自分が帰省した際にまとめてやると決めました。
そうなると、今度は父の日常生活が立ちゆかなくなります。私は大阪で仕事を抱えていますし、妻子もいます。三重に通い詰めて父の世話をするわけにはいきません。食事は保存食を中心に据え、食器の後片付けなど最低限の家事だけは父にやってもらうよう言い聞かせ、掃除や洗濯は自分が帰省した際にまとめてやると決めました。
横井氏の著書『親ケア奮闘記』
34歳男性、一人っ子。遠距離介護はじめました――。 親元を離れ、妻と娘の三人暮らし。 忙しくも充実した日々に、実家にかけた一本の電話。 私は母の尋常ではない声が気になりました。電話を替わった父に事情を聞くと「母さんの様子が朝から急におかしくなった」とのこと。すぐに実家に帰るという私に、父は自分がいるから大丈夫だと譲らず、逐一電話で連絡を取り合う約束をしてしばらく様子を見ることにしました。 今思えばこれが大きな失敗だったのです。 そこから、私の遠距離介護がはじまった――。
――大阪でお仕事があり、ご結婚もされていて、お子さんもまだ小さかった頃に、それは大変な決断だったのでは。
今なら、それが無茶なことだとわかるし、破綻も見えています。しかし当時は、介護をしているという認識すらありませんでした。結局、食事の用意すらろくにしなかった父は脱水と衰弱で倒れ、入院する騒ぎになります。父の独り暮らしに限界を感じていた私は、高額療養費の申請のため町役場を訪れた際、何かサポートしてもらえるような制度やサービスがないかと尋ねました。しかし当時は、介護保険のサービスも始まったばかりで、各窓口の連携がうまく取れておらず、何度となく心細い思いをしたのを覚えています。
そうした中、在宅介護支援センターという介護の相談窓口が実家の近くにあることを知り、あるケアマネジャーさんと出会います。じっくりと時間をかけて話を聞いていただき、どのようなサポートがあるのか教えてもらいました。また、他人を家に入れるのはイヤだと拒んでいた父母の説得にも力を貸してくださいました。そのケアマネジャーさんと出会っていなければ、私は無茶な遠距離介護の途中で力尽きていたことでしょう。これは比喩でも誇張でもありません。実際に力尽きてしまった人はたくさんいて、悲しいケースはそこここにあふれています。
そうした中、在宅介護支援センターという介護の相談窓口が実家の近くにあることを知り、あるケアマネジャーさんと出会います。じっくりと時間をかけて話を聞いていただき、どのようなサポートがあるのか教えてもらいました。また、他人を家に入れるのはイヤだと拒んでいた父母の説得にも力を貸してくださいました。そのケアマネジャーさんと出会っていなければ、私は無茶な遠距離介護の途中で力尽きていたことでしょう。これは比喩でも誇張でもありません。実際に力尽きてしまった人はたくさんいて、悲しいケースはそこここにあふれています。
――ケアマネジャーさんと出会うまでは、誰にも頼らず、まさに手探りで介護をされていたんですね。
今でこそいろいろな情報がインターネット上にあふれていますし、行政も多少はシステマチックに動いてくれるようになりました。しかし当時はほとんど何の手がかりもありませんでした。働き盛りの30代半ばの男が、どうやって介護をすればいいのか。そもそも私自身が介護だと思っていませんでしたからね。親からはさまざまな要求が上がってくるのに、自分はどこから着手すればいいのかわからない。とにかく考えたくないことは後回しにしていった結果、ずいぶん遠回りしたように思います。
■効率よく、ラクできるところはラクをして。介護で困る人をゼロにしたくて介護の道へ。
――横井さん自身の体験から、介護情報の共有という大命題が生まれたんですね。
私のように追い込まれた末に遠回りをして、時間と体力を無駄に費やし、神経をすり減らす前に、もっと介護サービスや利用法について知り、効率よく、ラクできるところはラクをしてほしい。そのためには、介護に関するさまざまな情報を発信し、多くの人と共有する仕組みが必要だと考えました。そうして私は勤め人を辞め、「株式会社コミュニケーター」を設立。それまでの経験を活かした販促プロデュース事業と、両親の介護から学んだ介護情報事業の2本柱で歩んでいくことになったのです。
「介護で困る人をゼロにしたい」それが会社が掲げる目標であり、私の念願です。現実的には達成できるはずのない目標ですが、限りなくゼロに近づけるべく、正しく有益な情報を発信し続けたいと考えています。現在運営しているWebサイト「親ケア.com」は、介護に関する正しい情報を包括的に得られる場所であり続けたいと、日々情報の充実・更新に努めています。
「介護で困る人をゼロにしたい」それが会社が掲げる目標であり、私の念願です。現実的には達成できるはずのない目標ですが、限りなくゼロに近づけるべく、正しく有益な情報を発信し続けたいと考えています。現在運営しているWebサイト「親ケア.com」は、介護に関する正しい情報を包括的に得られる場所であり続けたいと、日々情報の充実・更新に努めています。
――介護で困る人をゼロに。All Aboutのガイドになられたのも、そうした思いからだったのでしょうか。
そうですね。「親ケア.com」の場合は「介護の●●についての情報が欲しい」という具体的なニーズのある方が多いのですが、All Aboutだと「ちょっと介護に興味がある」といったライト層や予備軍の方にもリーチできるのでは、という期待もありました。「親ケア.com」では情報を客観的に整理して伝えるようにしていますが、All Aboutではもう少し「私」という人間を色濃く出して、自分が思うことや経験談、失敗談を多く伝えることで、より身近に感じる記事になるよう心掛けています。最終的には「やってみましょう」と行動につなげるような呼びかけをするにあたって、「自分」を出した記事の方が、読み手の皆さんが入ってきやすいのではないかと思うんですね。
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