えっ目隠しで出産?!信じられない。妊娠・出産を実際に体験しているわけで、視覚的に赤ちゃんを見なければケロッと平気になれるという問題ではないですよね。
そう。女性からすれば当然「なかったこと」になんてならないし、わけもわからないまま目隠しされてお産するという異常な状況によって、のちのちにPTSD(心的外傷後ストレス障害)になったりもする。
僕は民間の養子あっせん団体「アクロスジャパン」に顧問として関わっているんですが、オープンアダプションといって、隠すんじゃなくて全部オープンにしましょう、という形をとっています。
だからお産も普通で、カンガルーケアといって出産直後の抱っこや希望があれば授乳もしてもらっています。もちろん強制ではないので嫌であればしなくてもいい。
女性は、お産すると幸せや愛情などの感情にも影響するホルモン、オキシトシンが出るから、望まない妊娠で養子に出す子であっても、自然と愛情がわいてくる。だから、育てられない現状に変わりはないんだけど、そうして出会うと離れる時は悲嘆にくれてワーッと泣いてしまうことが多い。でも感情が出ることは自然なことなんです。見せないで感情に蓋をさせるのでなく、きちんと出会ってから別れるからこそ次のステージへと進んでゆける。実親のそうしたプロセスまで僕たちはサポートしています。
希望すれば、養子先の生活の様子を知ることも、子どもの写真を見ることもできるんですが、「この子はこんなに大切にされてるんだ」と実際に知ることで、自分自身までもが大切にされているような感じがする、と言う実親も多いんですね。望まぬ妊娠・出産をすることで多大なストレスにさらされてきたし、育てられない罪悪感もある。実親自身が愛情をかけられてこなかったなど成育歴に問題があるケースも多い。養子縁組は予期せぬことだったけど、結果として命がつながって自分が産んだ子が大切にされて元気で幸せに育っていることで自分も救われた、という声をよく聞きます。
産んだという記憶は消えないわけだから、全部隠してなかったことにすれば、すっかり忘れて気楽に生きられるなんていうわけにはいかないんです。
こうやって、養子縁組のシステムだけじゃなく、“隠す”のではなくて、”受け入れる“というあり方が拡がってゆけば、もう少し日本でも養子という選択肢が一般的になってゆくと思います。
僕は民間の養子あっせん団体「アクロスジャパン」に顧問として関わっているんですが、オープンアダプションといって、隠すんじゃなくて全部オープンにしましょう、という形をとっています。
だからお産も普通で、カンガルーケアといって出産直後の抱っこや希望があれば授乳もしてもらっています。もちろん強制ではないので嫌であればしなくてもいい。
女性は、お産すると幸せや愛情などの感情にも影響するホルモン、オキシトシンが出るから、望まない妊娠で養子に出す子であっても、自然と愛情がわいてくる。だから、育てられない現状に変わりはないんだけど、そうして出会うと離れる時は悲嘆にくれてワーッと泣いてしまうことが多い。でも感情が出ることは自然なことなんです。見せないで感情に蓋をさせるのでなく、きちんと出会ってから別れるからこそ次のステージへと進んでゆける。実親のそうしたプロセスまで僕たちはサポートしています。
希望すれば、養子先の生活の様子を知ることも、子どもの写真を見ることもできるんですが、「この子はこんなに大切にされてるんだ」と実際に知ることで、自分自身までもが大切にされているような感じがする、と言う実親も多いんですね。望まぬ妊娠・出産をすることで多大なストレスにさらされてきたし、育てられない罪悪感もある。実親自身が愛情をかけられてこなかったなど成育歴に問題があるケースも多い。養子縁組は予期せぬことだったけど、結果として命がつながって自分が産んだ子が大切にされて元気で幸せに育っていることで自分も救われた、という声をよく聞きます。
産んだという記憶は消えないわけだから、全部隠してなかったことにすれば、すっかり忘れて気楽に生きられるなんていうわけにはいかないんです。
こうやって、養子縁組のシステムだけじゃなく、“隠す”のではなくて、”受け入れる“というあり方が拡がってゆけば、もう少し日本でも養子という選択肢が一般的になってゆくと思います。
不妊治療しているカップルにとっても、妊娠出産できない=絶対に子どもが持てない、と考えるのと、いやいや出産できなくても子どもは持てる、というのでは大きな差がありますよね。
そうそう。血は繋がってなくたって、親子関係はしっかり築ける。反抗期になったらどうする、とか、親が虐待したらどうする、とよく言われるんだけど、それは血の繋がった親子だって同じリスクがあるわけで。
それ、ゼロリスク重視の日本だとすごい言われそうですね・・・
「もしかしたら問題になるかもだから、もう全部やめときましょう」みたいな。
そう、日本人はゼロリスク大好きでしょう。「もしこうなったらどうするんですか」と。
子宮頸がんワクチンなんかもそうだけどね。なにかあるとそれは気の毒ですが、メリットもすべて度外視して全部やめてしまおうと情緒的になってしまう。こうなるとエビデンスが揃ったとしても理解を得るのに時間がかかるんです。
養子でも普通の親子関係を築いている人たちのことを社会がもっと知るようになって、「そういう形もありだよね」となっていかないと、なかなか数は増えていかないと思います。取り組みは少しずつ増えているけどね。夫婦だって血は繋がってないけど家族になれるでしょう。子どもも同じなんですけどね。
子宮頸がんワクチンなんかもそうだけどね。なにかあるとそれは気の毒ですが、メリットもすべて度外視して全部やめてしまおうと情緒的になってしまう。こうなるとエビデンスが揃ったとしても理解を得るのに時間がかかるんです。
養子でも普通の親子関係を築いている人たちのことを社会がもっと知るようになって、「そういう形もありだよね」となっていかないと、なかなか数は増えていかないと思います。取り組みは少しずつ増えているけどね。夫婦だって血は繋がってないけど家族になれるでしょう。子どもも同じなんですけどね。
■他人を受け入れる唯一の臓器、子宮
先生のサイトに書かれている「子宮的に生きる」というコンセプトが素敵だなと思いました。
ありがとうございます。例えば臓器移植って、実の親子でも拒絶反応を起こしてしまうでしょ。でも子宮って全て受け入れるんだよね。代理母なんてまさにそうですけど、閉経していても、ホルモンを投与して環境を整えれば、他人の卵子と精子を使った誰の受精卵でも受け入れて育てちゃう。
異質のものであっても子宮のようにそのまま受け入れることから全てが始まるんじゃないかと。排他的になって相手を否定したり、切り捨てたり、対立して押さえつけたりすることからは始まらない。命の原点がそうだからね。まずは受け入れてみる。それを「子宮的に生きよう」と言っています。
異質のものであっても子宮のようにそのまま受け入れることから全てが始まるんじゃないかと。排他的になって相手を否定したり、切り捨てたり、対立して押さえつけたりすることからは始まらない。命の原点がそうだからね。まずは受け入れてみる。それを「子宮的に生きよう」と言っています。
最近マインドフルネスや瞑想が科学的にも注目されることが増えてきましたよね。
科学や医学が進むほど、マインドフルネスや瞑想だけでなく、プラシーボや自己治癒力などが注目されるようになるのはおもしろいですよね。当たり前なんだけど、体って「産む機械」ではない。テクノロジーが全てではないんですね。
瞑想では、「無になる」と言われるけど、「無」って頭と心の中を真っ白にするということではないですよね。もともと空っぽになんてできないですしね。 内側から湧き出てくる感情や思考を無理やり抑えようとしないで、逆にそのまま受け入れて流してゆけること。雑念にとらわれないようになる状態ですよね。不妊治療もね、いろんな感情が生まれてくるのは自然なので、いかにそれを受け入れて流してゆけるかが大切です。
瞑想では、「無になる」と言われるけど、「無」って頭と心の中を真っ白にするということではないですよね。もともと空っぽになんてできないですしね。 内側から湧き出てくる感情や思考を無理やり抑えようとしないで、逆にそのまま受け入れて流してゆけること。雑念にとらわれないようになる状態ですよね。不妊治療もね、いろんな感情が生まれてくるのは自然なので、いかにそれを受け入れて流してゆけるかが大切です。
仮に授からなかったとして、じゃあ不妊治療の時間が無駄だったのか、というとそんなことはないわけです。不妊って喪失ですよね。「結婚して子どもができて」など昔から漠然と思い描いていたイメージとは違う現実になっている、という喪失。その喪失の時期をどう過ごしてゆけるか。
感情を抑えて「明日からがんばろう!」なんて、無理があるわけで。どんなにつらい結果であっても子宮のようにまずはそのまま受け入れてみる。辛い喪失の時間が続いたとしても、この時間があるからこそどこかで折り合いをつけて諦められる。そして新たな人生、物語を生きていこうと思えるようになってくる。それが「喪失の完遂」です。こんな喪失も乗り越えられたんだから、次になにか起きてもまあ大丈夫かな、と。受け入れることから、そのままの自分で豊かに生きてゆけるようになる。それを僕はAccept & Startと呼んで自分のテーマにもしています。
あとは、幸せの多様性を考える、というのも重要なことでしょう。「絶対にこうじゃないとダメ!」と決めちゃっていると、想定外のことが起きた時の衝撃が大きいし、修正も難しい。もし思い描いていたものと違う人生になったとしても、「これはこれでいいんじゃないか」と思えて、そこからまた新たな物語を生きてゆけるたくましさが育まれていくといいですね。幸せやゴールはひとそれぞれですから。
感情を抑えて「明日からがんばろう!」なんて、無理があるわけで。どんなにつらい結果であっても子宮のようにまずはそのまま受け入れてみる。辛い喪失の時間が続いたとしても、この時間があるからこそどこかで折り合いをつけて諦められる。そして新たな人生、物語を生きていこうと思えるようになってくる。それが「喪失の完遂」です。こんな喪失も乗り越えられたんだから、次になにか起きてもまあ大丈夫かな、と。受け入れることから、そのままの自分で豊かに生きてゆけるようになる。それを僕はAccept & Startと呼んで自分のテーマにもしています。
あとは、幸せの多様性を考える、というのも重要なことでしょう。「絶対にこうじゃないとダメ!」と決めちゃっていると、想定外のことが起きた時の衝撃が大きいし、修正も難しい。もし思い描いていたものと違う人生になったとしても、「これはこれでいいんじゃないか」と思えて、そこからまた新たな物語を生きてゆけるたくましさが育まれていくといいですね。幸せやゴールはひとそれぞれですから。
■あとがき
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