呪いでもあり、チャンスを掴ませてくれる言葉
社員が大切にしている言葉を紹介する連載企画「Quotes」。第12回に登場していただくのは、メディアビジネス部 ガイドプロデュースグループのマネジャー高橋さん。彼女のQuoteは、学生時代のとても苦手だった教師から言われたある言葉だそうです。人生の指針ともなっている、ある意味”呪いの言葉”を教えていただきました。
私には、人生の指針になる……どころか呪いのように頭からこびりついて離れない言葉があります。
それは、「無知の知」。
気心の知れた友人達に囲まれて、楽しく平和な日々を送っていた高校時代。
中高一貫の女子校に通っていた私は、部活(演劇部)中心の生活で、脳みその8割くらいで仲間と一緒に台本を作ったり役柄を考えたりしながら、残りの2割くらいでお目当てのアーティストのライブチケットを取る方法を考えいているような、本当に能天気な高校生でした。
そんなお気楽な日々の中で、めずらしく嫌な思い出として残っているのが、とにかく折り合いが悪かった担任の生物教師とのやりとりです。
テストを返却されるときは、決まってネチネチ嫌味を言われ(のび太か! というくらい残念な点数を取った私も悪いのですが)、授業中には起きなさい! と、ひとりだけ怒鳴られる(ええ、確かに寝てはいましたが)。
そんな彼女から、何かで怒られていた時に突然言われたのが、「“無知の知”という言葉を知りなさい」。
当時の私はその言葉の真意など考えず、「無知=バカ」だと言われたと思い込み、わざわざ言われなくても分かってるよ! と、ただただムッとしていました
それは、「無知の知」。
気心の知れた友人達に囲まれて、楽しく平和な日々を送っていた高校時代。
中高一貫の女子校に通っていた私は、部活(演劇部)中心の生活で、脳みその8割くらいで仲間と一緒に台本を作ったり役柄を考えたりしながら、残りの2割くらいでお目当てのアーティストのライブチケットを取る方法を考えいているような、本当に能天気な高校生でした。
そんなお気楽な日々の中で、めずらしく嫌な思い出として残っているのが、とにかく折り合いが悪かった担任の生物教師とのやりとりです。
テストを返却されるときは、決まってネチネチ嫌味を言われ(のび太か! というくらい残念な点数を取った私も悪いのですが)、授業中には起きなさい! と、ひとりだけ怒鳴られる(ええ、確かに寝てはいましたが)。
そんな彼女から、何かで怒られていた時に突然言われたのが、「“無知の知”という言葉を知りなさい」。
当時の私はその言葉の真意など考えず、「無知=バカ」だと言われたと思い込み、わざわざ言われなくても分かってるよ! と、ただただムッとしていました
決断を迫られるときはいつも
嫌いな人から言われた嫌な言葉なんて忘れてしまえばいいのに、この言葉はなぜかずっと頭の片隅にひっかかっているのです。言葉の意味を理解せずに、ただその単語だけが頭にこびりついている状態なので、嫌な記憶だけが呼び起こされ呪いの言葉のようになってしまっていました。
そんな状態がくやしくて、あるとき具体的な言葉の意味を調べてみました。
「無知の知」とは、「知らないことを自覚する」という意味で、古代ギリシャの哲学者であるソクラテスの哲学に対する姿勢や考え方を簡略化した言葉なのだそうです。
人は自分はまだ何も知らないということに気づいたとき、自分と向き合い、よりよく生きるための探求を始めるとのこと。
ここまで「無知の知」を理解できたとき、ハッとしました。
大学での研究テーマや就職など、比較的大きな選択が必要なときには、いつも「無知の知」の考えに沿って決断をしていたことに気づいたのです。
たとえば、就職のとき。
当時大学で発展途上国の教育について学んでいた私は、就職について考え始めた当初、学習内容に直結する、途上国の支援に関わる仕事を希望していました。
一方で、たまたま大学の掲示板で見つけた高額なインターン募集に応募したら徹夜も苦にならないほど面白かった、某戦略コンサルティング会社での問題解決という仕事にも強烈に惹かれていました。
就職活動を進めていく中で、途上国の教育について学んではいるものの、自分には支援を行うための具体的なスキルが何もないという現実を痛感(今の自分にはやりたいことを実現する能力がないという自覚)。
逆に問題解決というスキルを身につけることで、長期的にはやりたいことに繋がるのではないか? こんな考えにいたり、私はコンサルティング会社で社会人としての第一歩を踏み出しました。
結果的には2年足らずで他の道を選ぶことになるのですが、とんでもなく頭が切れる刺激的な上司や先輩方の仕事の進め方・考え方、そして問題解決についての学びは今も仕事をする上での根本になっているので、あのときの選択は間違っていなかったと思っています。
そんな状態がくやしくて、あるとき具体的な言葉の意味を調べてみました。
「無知の知」とは、「知らないことを自覚する」という意味で、古代ギリシャの哲学者であるソクラテスの哲学に対する姿勢や考え方を簡略化した言葉なのだそうです。
人は自分はまだ何も知らないということに気づいたとき、自分と向き合い、よりよく生きるための探求を始めるとのこと。
ここまで「無知の知」を理解できたとき、ハッとしました。
大学での研究テーマや就職など、比較的大きな選択が必要なときには、いつも「無知の知」の考えに沿って決断をしていたことに気づいたのです。
たとえば、就職のとき。
当時大学で発展途上国の教育について学んでいた私は、就職について考え始めた当初、学習内容に直結する、途上国の支援に関わる仕事を希望していました。
一方で、たまたま大学の掲示板で見つけた高額なインターン募集に応募したら徹夜も苦にならないほど面白かった、某戦略コンサルティング会社での問題解決という仕事にも強烈に惹かれていました。
就職活動を進めていく中で、途上国の教育について学んではいるものの、自分には支援を行うための具体的なスキルが何もないという現実を痛感(今の自分にはやりたいことを実現する能力がないという自覚)。
逆に問題解決というスキルを身につけることで、長期的にはやりたいことに繋がるのではないか? こんな考えにいたり、私はコンサルティング会社で社会人としての第一歩を踏み出しました。
結果的には2年足らずで他の道を選ぶことになるのですが、とんでもなく頭が切れる刺激的な上司や先輩方の仕事の進め方・考え方、そして問題解決についての学びは今も仕事をする上での根本になっているので、あのときの選択は間違っていなかったと思っています。
70歳を超えても学び続ける
「無知の知」という言葉の意味を自分なりに理解したとき、意外なくらい身近にこの言葉を体現しているひとがいることに気づきました。
それは、私の母です。
母は、20代半ばからずっと英語の教師をしているのですが、すごいなと思うのはもう教師としてベテランになっても、常に自分に向き合い、学び、成長し続けていること。
40代で当時中学生だった私を連れ、突然アメリカとイギリスに行き大学の英語教育者向けコースを受講したり(ちなみに母が授業を受けている間、私は大学生向けの英語コースに放り込まれ、思いきり「無知の知」を体感しました)。
70歳を超えた最近でも、コロナの影響で休校中の高校から、突然Zoomでオンライン授業をやってくれと言われ、最初はZoomって何ですか? 状態で私に相談してきたものの、次の日からはひとりで週数コマのオンライン授業をこなす日々。
私も母のように学び、成長し続けるひとでありたいと思う今日この頃です。
それは、私の母です。
母は、20代半ばからずっと英語の教師をしているのですが、すごいなと思うのはもう教師としてベテランになっても、常に自分に向き合い、学び、成長し続けていること。
40代で当時中学生だった私を連れ、突然アメリカとイギリスに行き大学の英語教育者向けコースを受講したり(ちなみに母が授業を受けている間、私は大学生向けの英語コースに放り込まれ、思いきり「無知の知」を体感しました)。
70歳を超えた最近でも、コロナの影響で休校中の高校から、突然Zoomでオンライン授業をやってくれと言われ、最初はZoomって何ですか? 状態で私に相談してきたものの、次の日からはひとりで週数コマのオンライン授業をこなす日々。
私も母のように学び、成長し続けるひとでありたいと思う今日この頃です。
チャンスを掴ませてくれた言葉
オールアバウトで働き始めてからも、思い返せばこの言葉に影響されて、進む方向が変わったり決まったりしてきました。
例えば、商品企画担当として入社したものの、営業現場を知らなさすぎることに気づき営業へ異動。営業の仕事を通じてクライアントや代理店が求めていることが体感でき視野が広がりました。
また、育休明けに仕事に復帰したときは、休み前の商品企画の仕事から離れ、未知の世界だったプログラマティック広告(運用型広告)の担当になりました。
復帰にあたって慣れている商品企画の仕事ではなくプログラマティック広告の担当を志願したのは、長年webメディアと広告に関わってきたのに、当時成長し始めていたプログラマティック広告について自分は何も知らない、という危機感。
知らない自分を放置せず学べるチャンスだと考えていましたものの、最初は難解な用語や仕組みの理解が追いつかず、社内で施策の提案が通らないなど苦しい思いも多く、後悔しかけたこともありました。
でも結果として、仕組みの理解にとどまらず他媒体や配信事業者の方々などと知り合い、知見が広がり、担当を離れた今、新規のサービスを検討するときにその知見が役立っていることを考えると、どんな仕事も次に活きるんだなあと感じます。
ただ、慣れ親しんだ業務ややり方を離れてリセットしていくのは、正直つらい。
「無知の知」という言葉の重要性が腑に落ちて呪いが解けても、実行し続けるのは難しいものです。
だからこそ、この場で宣言してしまえば、強制的に自分の学びと成長のスイッチをおせるかな、と甘い期待を頂いています。
例えば、商品企画担当として入社したものの、営業現場を知らなさすぎることに気づき営業へ異動。営業の仕事を通じてクライアントや代理店が求めていることが体感でき視野が広がりました。
また、育休明けに仕事に復帰したときは、休み前の商品企画の仕事から離れ、未知の世界だったプログラマティック広告(運用型広告)の担当になりました。
復帰にあたって慣れている商品企画の仕事ではなくプログラマティック広告の担当を志願したのは、長年webメディアと広告に関わってきたのに、当時成長し始めていたプログラマティック広告について自分は何も知らない、という危機感。
知らない自分を放置せず学べるチャンスだと考えていましたものの、最初は難解な用語や仕組みの理解が追いつかず、社内で施策の提案が通らないなど苦しい思いも多く、後悔しかけたこともありました。
でも結果として、仕組みの理解にとどまらず他媒体や配信事業者の方々などと知り合い、知見が広がり、担当を離れた今、新規のサービスを検討するときにその知見が役立っていることを考えると、どんな仕事も次に活きるんだなあと感じます。
ただ、慣れ親しんだ業務ややり方を離れてリセットしていくのは、正直つらい。
「無知の知」という言葉の重要性が腑に落ちて呪いが解けても、実行し続けるのは難しいものです。
だからこそ、この場で宣言してしまえば、強制的に自分の学びと成長のスイッチをおせるかな、と甘い期待を頂いています。
9 件
Back Number
Rankingランキング
- MONTH
- WEEK