アコモる
社員が大切にしている言葉を紹介する連載企画「Quotes」。第9回に登場するのは、取締役兼執行役員 CAOの森田さん。留学先で知り合った大学教授から当時教えてもらった日本語に訳しづらい"とある英語"を、日本人的な表現に言い換えたことで自分のものにした瞬間を紹介いただきました。
■「人の集まり」って一体何だろう
世の中、人が集まると、とかく問題が起きる。
「関与者が一人増えると、その複雑性は指数関数的に高まる」と言われるけど、自分でもその実感がある。
人が集まって何かするときに、すごく盛り上がって1+1が2より大きくなるようなエキサイティングな体験もあれば、逆に、誤解、策略、嫉妬、怒り、悲しみ、あきらめ……など、ネガティブなエネルギーが渦巻くこともある。
予測不能な動きを見せる「人の集まり」って一体何なんだろうと、モヤモヤしていた。そんなとき、この言葉がちょっとだけモヤモヤを晴らしてくれた。
「関与者が一人増えると、その複雑性は指数関数的に高まる」と言われるけど、自分でもその実感がある。
人が集まって何かするときに、すごく盛り上がって1+1が2より大きくなるようなエキサイティングな体験もあれば、逆に、誤解、策略、嫉妬、怒り、悲しみ、あきらめ……など、ネガティブなエネルギーが渦巻くこともある。
予測不能な動きを見せる「人の集まり」って一体何なんだろうと、モヤモヤしていた。そんなとき、この言葉がちょっとだけモヤモヤを晴らしてくれた。
「アコモデーション」
この言葉を教えてもらったのは、もう24年も前。留学先で知り合った、現在、大東文化大学教授の内山研一先生からだ。
■「コンセンサス」は、何か気持ち悪い
「アコモデーション:accommodation」とは、「宿泊施設」みたいな使われ方がよくされるが、そのほかにも、辞書の訳では「適応、順応、収容、調整、和解」といった意味がある。
内山先生の定義では、「アコモデーション」とは、「思いの共有に基づく個々人の異なる世界観の同居」ということになる。
補足説明なしにはさっぱりわからないかもしれないが、冒頭の自分のモヤモヤに戻ろう。
「人の集まり」って一体何なんだろう? 集団で何か物事を決めるときなどに、こんな問いがあらわになる。
そんなときに使われる言葉のひとつに「コンセンサス(合意、総意)」というのがある。この言葉に、私は、昔から何か気持ち悪さを感じていた。
「コンセンサス」が使われるときのありがちな言い回しとしては、
「みんなのコンセンサスがとれました!」
「これでコンセンサスがとれたということでよろしいですね。」
みたいなのがあるが、
「コンセンサス」と言うと、「コンセンサスするかしないかのどちらかしかない」「グレーの余地が少ない」「完全一致していないとコンセンサスではない」という雰囲気がある。
また、多数派が少数派をねじ伏せるようなパワーや強制力も感じられる。ある組織がAかBかで決断を迫られているときに、Aに決めるならば、B推進派の人はあきらめないといけないから、コンセンサスには「コンプロマイズ(妥協、譲歩)」がほぼセットになっている。
もちろん、シンプルなテーマのときなど、気持ちよくコンセンサスできるケースもある。ただし、多くの場合、コンセンサスは窮屈な感じがする。コンセンサスに至ったときには関与者がすでに疲弊していて前に進めない。そういうところが私はイヤなのだ。
そんな気持ち悪さを取り払ってくれたのが「アコモデーション」だった。
内山先生の定義では、「アコモデーション」とは、「思いの共有に基づく個々人の異なる世界観の同居」ということになる。
補足説明なしにはさっぱりわからないかもしれないが、冒頭の自分のモヤモヤに戻ろう。
「人の集まり」って一体何なんだろう? 集団で何か物事を決めるときなどに、こんな問いがあらわになる。
そんなときに使われる言葉のひとつに「コンセンサス(合意、総意)」というのがある。この言葉に、私は、昔から何か気持ち悪さを感じていた。
「コンセンサス」が使われるときのありがちな言い回しとしては、
「みんなのコンセンサスがとれました!」
「これでコンセンサスがとれたということでよろしいですね。」
みたいなのがあるが、
「コンセンサス」と言うと、「コンセンサスするかしないかのどちらかしかない」「グレーの余地が少ない」「完全一致していないとコンセンサスではない」という雰囲気がある。
また、多数派が少数派をねじ伏せるようなパワーや強制力も感じられる。ある組織がAかBかで決断を迫られているときに、Aに決めるならば、B推進派の人はあきらめないといけないから、コンセンサスには「コンプロマイズ(妥協、譲歩)」がほぼセットになっている。
もちろん、シンプルなテーマのときなど、気持ちよくコンセンサスできるケースもある。ただし、多くの場合、コンセンサスは窮屈な感じがする。コンセンサスに至ったときには関与者がすでに疲弊していて前に進めない。そういうところが私はイヤなのだ。
そんな気持ち悪さを取り払ってくれたのが「アコモデーション」だった。
(左)アコモデーションについて言及している内山先生の著書「現場の学としてのアクションリサーチ」
(右)内山教授が指導を受けたランカスター大学 名誉教授のチェックランド氏の著書
■「アコモデーション」は、異なる世界観を抱き込む
このコラムでは「アコモデーション」の学問的な意味や意義をていねいに論ずる意図はなく、そもそも私の理解力では説明できないので、「アコモデーション」から自分が感じることを勝手に述べるだけであることを前置きしておくが、「アコモデーション」という言葉は、その語源や使い方からして、様々なものを合わせて「抱き込む」というか、「飲み込む」というか、そんなイメージがある。
最近だと、ラグビーの日本代表がワールドカップ前に「さざれ石」のある神社にお参りに行って『君が代』を歌った経験がチームの士気をぐっと上げた、というエピソードがあった。
最近だと、ラグビーの日本代表がワールドカップ前に「さざれ石」のある神社にお参りに行って『君が代』を歌った経験がチームの士気をぐっと上げた、というエピソードがあった。
ラグビー日本代表がチームの結束強化を図るために訪れた宮崎県日向市の大御神社にある「さざれ石」
異なる出身地や身体能力など、ダイバーシティを地で行くラグビー日本代表チームが、それぞれの違いを活かしながら「One Team」になる。こんなのは「アコモデーション」の例なんじゃないかと思う。
アコモデーションには、「人はそれぞれ」の前提に立ちつつも、それぞれの思いを出し合い、それぞれに敬意を払って学び合うことで、それぞれの重なりを確認したり、新しい自分を発見したり、そこから先に進もう、というニュアンスが感じられる。
「もしコンセンサスがなくても、アコモデーションがあればそれでいいじゃないか」という発想が、自分を救ってくれた。
アコモデーションには、「人はそれぞれ」の前提に立ちつつも、それぞれの思いを出し合い、それぞれに敬意を払って学び合うことで、それぞれの重なりを確認したり、新しい自分を発見したり、そこから先に進もう、というニュアンスが感じられる。
「もしコンセンサスがなくても、アコモデーションがあればそれでいいじゃないか」という発想が、自分を救ってくれた。
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