傲慢になりかける自分を戒める、カリスマラッパーの一節
社員が大切にしている言葉を紹介する連載企画「Quotes」。第4回に登場するのは当オウンドメディアを運営する広報部の柏原です。人生の節目節目で思い出す、カリスマラッパー・BOSS THE MCが放ったリリックを紹介します
■北海道が誇る唯一無二のラッパーとの出会い
こんにちは、この連載を企画した側に執筆のバトンが早くも回ってきたことに少々困惑している広報部の柏原です。社員が日々大切にしている言葉を紹介する本コーナーでは、“仕事の恩師”、“旅先で会った世捨て人”、“祖母”と、みなそれぞれ身近な人から発せられた言葉を書き綴っていましたが、私の場合は、とある“カリスマラッパー”の言葉です。
ラッパーと聞くと皆さん、どんなイメージを持つでしょうか? ちょっとアウトローな世界に生きる人。フリースタイルダンジョンで相手を罵り合う人。スチャダラパー(笑)、と人それぞれかと思いますが、お気に入りのラッパーがいる人はそう多くはないでしょう。
かく言う自分も、そこまでヒップホップに詳しいわけではありません。が、そんな自分ですら大学時代に衝撃を受け、いまではその世界観にどっぷりのめり込んでしまったのが北海道・札幌を拠点に活動するBOSS THE MC(以下、BOSS)というラッパーです。
1997年にトラックメーカーのO.N.Oと「THA BLUE HERB(ザ・ブルー・ハーブ)」というグループを結成した彼らのスゴさを一言でいうと、超が付くくらい「インディペンデント」な精神を20年経ったいまも貫き続けているところです。
ラッパーと聞くと皆さん、どんなイメージを持つでしょうか? ちょっとアウトローな世界に生きる人。フリースタイルダンジョンで相手を罵り合う人。スチャダラパー(笑)、と人それぞれかと思いますが、お気に入りのラッパーがいる人はそう多くはないでしょう。
かく言う自分も、そこまでヒップホップに詳しいわけではありません。が、そんな自分ですら大学時代に衝撃を受け、いまではその世界観にどっぷりのめり込んでしまったのが北海道・札幌を拠点に活動するBOSS THE MC(以下、BOSS)というラッパーです。
1997年にトラックメーカーのO.N.Oと「THA BLUE HERB(ザ・ブルー・ハーブ)」というグループを結成した彼らのスゴさを一言でいうと、超が付くくらい「インディペンデント」な精神を20年経ったいまも貫き続けているところです。
THA BLUE HERBのデビューアルバムの12インチ。「私より柏原さんが持っていた方が良いと思って」と友人から譲ってもらった貴重な一品。
SNSなどが発達した現在と違って、当時の音楽シーンで成り上がるには、まず東京に進出し、メジャーレーベルと契約する、もしくは、すでに売れているラッパーにフィーチャリング(客演)されることがセオリーでした。
しかし、彼らはあえてその流れに反旗を翻します。地元・札幌でインディーズレーベルを立ち上げ、東京で活躍するラッパーほぼ全てを敵に回しながら、自らのポジションを築いていったんです。
哲学的かつ文学性の高いリリックは他のラッパーと一線を画しており、“東京”という圧倒的勢力にたった二人で立ち向かっていく様は、見ていて勇気づけられもしました。
しかし、彼らはあえてその流れに反旗を翻します。地元・札幌でインディーズレーベルを立ち上げ、東京で活躍するラッパーほぼ全てを敵に回しながら、自らのポジションを築いていったんです。
哲学的かつ文学性の高いリリックは他のラッパーと一線を画しており、“東京”という圧倒的勢力にたった二人で立ち向かっていく様は、見ていて勇気づけられもしました。
■調子に乗りかけていた、否。調子に乗ってたあの頃
オールアバウトに入る前、私は某住宅フランチャイズメーカーに新卒一期生として入社しました。最初は新規開拓営業を担当し、一日100本以上、建設会社・工務店に電話を掛けては、ようやく取れたアポを汗まみれになって駆けずり回る日々。
ヒップホップシーンで成り上がることを夢見たBOSSのラップを心の支えにし、何とか食らいついていった結果、ひょんなことから花形である宣伝担当の部署に異動を命じられ、現職の広報への道を歩みだします。
そういったキャリアアップに加え、やや離職率の高い会社だったため、入社6年目で中堅的立場へ。自分より年上の中途社員にあれこれ教えるといった状況に置かれたこともあってか、勘違いした私は完全に調子に乗っていました。後輩や目上の先輩だけでなく、時には同期にもキツくあたったり、何気ないことにも“ありがとう”の一言が言えなかったり、と傲慢そのものだったと思います。
そんなことをしていると当然のことながら、些細な面で不毛な衝突が発生します。相手からのちょっとした指摘や注意に対し、残念な自分は「俺の何が悪いんだよ! こんにゃろー!」というスタンスを取ってしまうという始末でした。
ヒップホップシーンで成り上がることを夢見たBOSSのラップを心の支えにし、何とか食らいついていった結果、ひょんなことから花形である宣伝担当の部署に異動を命じられ、現職の広報への道を歩みだします。
そういったキャリアアップに加え、やや離職率の高い会社だったため、入社6年目で中堅的立場へ。自分より年上の中途社員にあれこれ教えるといった状況に置かれたこともあってか、勘違いした私は完全に調子に乗っていました。後輩や目上の先輩だけでなく、時には同期にもキツくあたったり、何気ないことにも“ありがとう”の一言が言えなかったり、と傲慢そのものだったと思います。
そんなことをしていると当然のことながら、些細な面で不毛な衝突が発生します。相手からのちょっとした指摘や注意に対し、残念な自分は「俺の何が悪いんだよ! こんにゃろー!」というスタンスを取ってしまうという始末でした。
■傲慢な自分を戒めてくれたBOSSのリリック
デビュー以降、日本中のラッパーをなぎ倒していき唯一無二の存在となったBOSS。自身の結婚や友人の死といったさまざまな経験を経て、発信するメッセージを、当初の“闘争や対立”から、人生における“挫折・悲哀”、そして“歓喜や希望”といった、次のステージに移していました。2007年に発表した3枚目のアルバムはその名も『LIFE STORY』。
このアルバムに収録されている「TENDERLY」という曲の一節が、傲慢な自分を戒めるキッカケを作ってくれた今回の「Quotes」です。
このアルバムに収録されている「TENDERLY」という曲の一節が、傲慢な自分を戒めるキッカケを作ってくれた今回の「Quotes」です。
この曲自体は、国籍や人種、主義・主張の異なる人たちがどうやって分かり合っていくべきかというのを、BOSSなりに説いたものなのですが、謙虚さと相手への感謝を尽くすことの大事さを、これ以上なく表現した言葉に、「あっ!? これいまの自分に言われてる......」と稲妻が落ちたような感覚になったのをいまも鮮明に覚えています。
何かをしてもらっての“ありがとう”ではなく、こちらがしてあげた上での“ありがとう”。そんな発想、当時の傲慢な自分は思いもしませんでした。深い、深すぎるよBOSS……。
何かをしてもらっての“ありがとう”ではなく、こちらがしてあげた上での“ありがとう”。そんな発想、当時の傲慢な自分は思いもしませんでした。深い、深すぎるよBOSS……。
その後、オールアバウトに転職し、昨年で入社10年目を迎えました。そして、ここでもある程度中堅的な立場へ......。もしかするとまた“あの頃の自分”が顔を覗かせてはいやしないか? あんな風にはもうなってはいけないぞ! とBOSSが語りかけてくる。この曲のこの一節を聴くたび、そんな気がして襟を正すようにしています。
ちなみに、この一節のあとにはこんなリリックが続いて曲を締めていきます。
ちなみに、この一節のあとにはこんなリリックが続いて曲を締めていきます。
口にするのは簡単だと思うが 少しづつやってみようと思うんだ
君も もしそう思うなら 嬉しいね
2017年のFUJI ROCK FESTIVALにて。人生の師と仰ぐBOSSとの念願の2ショット。
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